徒然草・第101段
◇或人任大臣の節会の内辨を勤められけるに
機転が利く人のおかげで助かった話
天皇が大臣を任命する儀式において、ある人が責任者となったとき、役人が持っていた宣命(せんみょう・天皇の命令を記した紙)を受け取らずに、式場に入ってしまわれた。
これはかなりの失態であるのだが、再度取りに戻るわけにもいかず、どうしたものかと考えあぐねていると、中原康綱(なかはらのやすつな)という役人が女官に頼んで宣命を持たせて、こっそりとお渡しになった。すばらしい機転である。
徒然草・第102段
◇尹大納言光忠卿
兼好は有職に詳しい人を好むようです
弾正台(だんじょうだい・監察警察)長官の源光忠(みなもとのみつただ・鎌倉時代後期の大納言)が鬼やらいの責任者を勤めたとき、洞院右大臣(とういんのうだいじん・詳細不明)に式次第について教えを乞うたところ、
「又五郎(またごろう)に教わる以上に良い方法はあるまい」とおっしゃった。その又五郎という男は年老いた警備役人で、宮中の儀式に精通していた。
あるとき、近衛家の当主が儀式の場におつきになったときに、軾 (ひざつき・跪くときの敷物)を敷き忘れたまま、役人を呼び付けたので、そばで火を焚いていた又五郎が、
「役人を呼ぶよりも先に、まず敷物をお取り寄せになればよいのに」とこっそり独り言を言ったのが、なんともおもしろかった。
徒然草・第103段
◇大覚寺殿にて近習の人ども
元ネタを知らないと何が何だか判らないかも
後宇多法皇(ごうだほうおう・鎌倉時代の第91代天皇で京都市右京区の大覚寺で院政を行った)のいらっしゃった大覚寺御所に詰めていた家臣たちが、なぞなぞを作って解いて遊んでいたところ、医師であり中国からの帰化人であった忠守(ただもり)が参上してきた。
そこへ正親町三条公明(おおぎまちさんじょうきんあき・鎌倉後期の公卿歌人)が「我が国の者とは見えない忠守よ」となぞなぞを出題し、「唐瓶子(からへいし・中国製の酒とっくり)」と解いて笑いあったので、忠守は怒って出て行ってしまった。
(※瓶子は「へいし」と読むことから、「平氏」とのダジャレになっている。さらに忠守も「ただもり」と読むが、これもまた平清盛の父である平忠盛と同音であり、忠盛は斜視(すがめ)ゆえに「伊勢平氏(瓶子)はすがめ(酢甕・斜視)なりけり」と揶揄されたエピソードを元ネタとしている。)