徒然草・第138段
◇祭過ぎぬれば
祭りの後で飾りを撤去するのはダメという、意義がよく分からない主張
「祭りが終わったのだから、葵の葉は必要ない」
と言って、ある人が御簾に掛かっていた葵の葉をすべて撤去させてしまった。なんとも風情のないことだと感じたものの、立派な人がしたことなのでそういうものなのかと思ったが、周防内侍(すおうのないし・平安時代後期の歌人)が、
かくれどもかひなき物はもろともに
みすの葵も枯葉なりけり
(祭りが終わり、枯れた葵の葉を御簾に掛けておいても、共に眺める相手と別れてしまった今では見ることもできず、仕方がない)
と詠んだ和歌も、母屋の御簾に掛けてあった葵の枯葉を詠んだものだと周防内侍の歌集に書いてある。
古い和歌の前書きにも「枯れた葵の葉に、紙を差し挟んで贈った歌」とある。枕草子にも「過ぎ去って懐かしい物は、祭りの後の枯れた葵」と書いているのは、大変親しみを感じるものだ。鴨長明(かものちょうめい・鎌倉時代初期の歌人であり「方丈記」の著者)の「四季物語」にも「美しい簾に、祭りの後の葵の葉が残っている」と書いてある。
自然と枯れてしまうのでさえ名残惜しいものなのに、跡形もなく捨て去って良いものだろうか。
御帳台(みちょうだい・貴人が座る場所)のくす玉も、5月5日に掛けられてから9月9日に菊の花に取り換えられるので、5月のくす玉に使われる菖蒲は9月の菊の時まで飾られ続けるものであろう。
藤原妍子(ふじわらのけんし・平安中期の三条天皇の中宮)がお亡くなりになった後、古い御帳台の内側に枯れた菖蒲やくす玉などがあるのを見て、「季節外れの菖蒲の根をまだ掛けている」と乳母が詠んだ和歌の返歌に「菖蒲の草はまだ盛りの時季」と侍従(じじゅう・召使い、家人)が詠んだのである。
徒然草・第139段
◇家にありたき木は
枕草子の「木の花は」と読み比べてみては?
家に植えておきたい木は松と桜だ。松は五葉の松も良い。桜の花は一重なのが良い。八重桜は奈良の都にだけあったものだが、近頃ではあちこちにあるようだ。吉野(奈良県吉野町)の桜も宮中の左近(さこん)の桜も皆、一重の花のものだ。八重桜は奇妙なものである。くどくて素直さがない。植えなくてもよいものだ。遅咲きの桜も興醒めである。虫がついているのも気味が悪い。
梅は白梅と薄紅梅が良い。一重の花が早々と咲いているのも、八重の紅梅が良い香りを放っているのもどれも趣がある。遅咲きの梅は桜の開花と被ってしまって人々に注目されず、桜に気圧されて枝に花が縮こまっているようなので情けない。
「一重の梅の花が真っ先に咲いて散ってしまうのは、せっかちでおもしろい」と藤原定家(ふじわらのていか・さだいえ・鎌倉時代初期の公卿・歌人、新古今和歌集撰者)は、やはり一重の梅を軒先に植えたのである。定家の邸宅の南側に今も二本植わっている。
柳もまた趣がある。四月ごろの楓の若葉は、おおよそあらゆる花や紅葉にも勝り、良い物である。橘や桂はどちらも樹木が古木となり、大樹であるのが良い。
草花は山吹、藤、カキツバタ、ナデシコが良い。池には蓮。秋の草は荻、ススキ、キキョウ、萩、オミナエシ、フジバカマ、紫苑、ワレモコウ、刈萱、リンドウ、菊が良い。黄色い菊も良い。蔦、葛、朝顔も。
これらはどれも丈が高くなく小柄で、生垣に生い茂らないのが良い。これ以外の珍しい品種や、中国由来の名前で判りにくく見慣れぬ花のものなどは、さほど懐かしみを感じない。
大体、何でも珍しく希少な物は、身分の低い人がもてはやすものだ。そんなものは無くてよい。