1分で読む現代語訳・徒然草

第181段「降れ降れ粉雪
たんばの粉雪といふ事」

 徒然草・第179段
      ◇入宋の沙門道眼上人

  • 故事
    いろんなことにこだわって探求する人がいるもので

  中国の宋に仏道のために渡った道眼上人(どうげん・鎌倉時代後期の僧)は、一切経(大蔵経。経・律・論にわたる仏教聖典の総称)を日本に持ち帰って六波羅(ろくはら・京都市東山区)のあたり、やけ野(場所の詳細は不詳)という場所に安置した。
  特に首楞厳経(しゅりょうごんぎょう・はやく悟りに至るための瞑想手段を連ねた経典)を講義して、寺の名を那蘭陀寺(ならんだじ)と称した。

  その僧が言うには、
「インドの那蘭陀寺の大門は北向きであると大江匡房(おおえのまさふさ・平安時代後期の公卿、学者)が主張したと伝えられているけれども、『西域伝(さいいきでん・玄奘三蔵による中央アジアからインドにわたる紀行・伝聞記)』や『法顕伝(ほっけんでん・仏国記・中国東晋時代の僧の紀行記)』にも書かれておらず、さらに他の文献にも記述がない。
  大江匡房はどんな学術根拠があってそんなことを主張したのだろうか。全く疑わしいことだ。
  西明寺(さいみょうじ・中国の唐代に長安に建立された寺)が北向きなのは間違いないのだが」
ということだ。

中国の寺院

 徒然草・第180段
      ◇さぎちやうは

  • 日本にもホッケーがあった

  左義長(さぎちょう・三毬杖・とんど・小正月に行われる火祭り)は、正月に使った毬杖(ぎっちょう・ホッケーのような遊びで使う杖)を真言院(しんごんいん・大内裏にあった密教の修法道場)から持ち出して、神泉苑(しんせんえん・大内裏に接して造営された庭園)で焼いてしまう行事である。
「法成就(ほうじょうじゅ)の池にこそ」という囃し言葉は、神泉苑の池のことを指しているのだ。

毬杖
▲毬杖(画像引用:早稲田大学図書館)

 徒然草・第181段
      ◇降れ降れ粉雪たんばの粉雪といふ事

  • 故事日常
    童謡のフレーズも奥が深いものです

「『降れ降れ粉雪、たんばの粉雪』という童謡において、『粉雪』というのは米を搗いて粉をふるいにかけた様子に似ているからである。本来は『溜まれ粉雪』と言うべきなのだが、誤って『丹波(京都府北部)の粉雪』と歌っている。その続きは『垣や木の股に』と歌うのだ」
と、ある物知りが言っていた。

  昔から歌われているのだろうか、鳥羽天皇(平安時代後期の第74代天皇)がまだ幼いころ、雪の降る日にこう歌っていたと藤原長子(ふじわらのながこ・平安時代後期の女官)が日記に書いている。

粉雪
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