徒然草・第54段
◇御室にいみじき児のありけるを
まさかの仁和寺第3弾!
仁和寺にかわいらしいお稚児さんがいた。なんとか誘い出して遊ぼうと企てた僧侶たちが、芸達者な僧侶たちと話し合って、お洒落な容器を一生懸命こしらえて箱に収めて、双の岡(ならびのおか・京都市右京区の丘陵、双ヶ岡)の適切な場所に埋めておいて、上から紅葉を散らして見つからないようにしてから寺に戻って稚児を誘いだした。
僧侶たちは嬉しい気持ちであちらこちらで遊びまわり、苔が生えた例の場所に座っては「疲れたねえ」「うん、この紅葉で焚き火をする人がいればいいのになあ」「霊験あらたかなお坊さんたち、試しに祈ってみては?」
とまあ、言い合って、箱を埋めておいた木の下に向かい、数珠をすり合わせ、手で形をつくり、おおげさに振る舞っては紅葉を掻き分けたが、目当てのものは全く見つからない。場所を間違えたかと、掘らない場所もないほどに山を漁ったけれど、やっぱり無かった。
箱を埋めるところを人が見ていて、僧侶たちが寺に戻っている間に盗んだのである。僧侶たちは何と言っていいやらわからず、聞くに堪えない口論までしてカンカンになって寺へ戻って行ったのだそうだ。
あまりに趣向を凝らしすぎると、必ず良くない結果になるということである。
徒然草・第55段
◇家の作りやうは
これもまた有名な段。兼好も夏の暑さは苦手だったようで
家を建てるときは、夏を主眼に考えるのが良い。冬はどんなところでも住むことができるものだ。暑い時季に住み勝手の良くない住まいで暮らすのは耐えがたいことである。
遣水(やりみず・庭に流れる小川)は、深くすると涼しさがない。浅く流れているのがより涼しく感じる。小さなものを見るときに遣戸(やりど・引き戸)で仕切られた部屋は、蔀戸(しとみど・跳ね揚げ式の日よけ)で仕切られた部屋よりも明るい。
天井が高い部屋は冬は寒く、夜は灯りも暗い。
建築は使わない部屋を作っておくのが、見た目も面白く、さまざまな用途に使えて良いものだと人々が定め合ったのである。