1分で読む現代語訳・徒然草

死を恐れぬ生き方の一例
第115段「宿河原といふ所にて」

 徒然草・第114段
      ◇今出川の大殿嵯峨へおはしけるに

  • 日常
    専門家のやることに素人が口を出すなという話

  西園寺公相(さいおんじきんすけ・鎌倉時代の公卿)が嵯峨(さが・京都市右京区)へいらっしゃったとき、有栖川(ありすがわ・京都市右京区の川)あたりで、水が流れているところで、牛飼いの塞王丸(さいおうまる)が牛を追い立て、牛車の速度を速めた。

  すると水が撥ね飛んで牛車の前板にかかってしまったので、牛車の後部に乗ってお供をしていた家来の為則(ためのり)が、
「けしからん牛飼い童だ。こんな場所で牛を追い立てるやつがあるか」
と言えば、西園寺公相は気分を損ねて、
「おのれは牛車の扱いを塞王丸より心得ていないではないか。お前こそけしからん」
と言って、為則の頭を牛車に打ちつけになられた。
  この有名な塞王丸は太秦殿(うずまさどの・不明)に仕える男で、後嵯峨院(ごさがいん・第88代天皇)の牛飼いなのだった。

  この太秦殿に仕えていた女房の名は、牛にちなんで、一人は「ひざさち」、一人は「ことづち」、一人は「はふばら」、一人は「おとうし」と太秦殿が命名されたそうだ。

牛車
▲前板の位置(出典:長谷雄草紙)

 徒然草・第115段
      ◇宿河原といふ所にて

  • 必読
    死ぬことを恐れぬ心

  宿河原(しゅくがわら・川崎市多摩区)という所で、ぼろぼろ(梵論梵論。半僧半俗の物乞いで、虚無僧の原型とも言われる)が多く集まって念仏を唱えていたときに、よそからやって来たぼろぼろが、
「もしかしてこの中に『いろをし房(ぼう)』という人はいらっしゃるか」
と尋ねたので、その仲間内のひとりが、
「いろをしは、ここにおります。あなたはどなた?」
と訊き返した。
「『しら梵字(ぼんじ)』という者です。私の師匠でなんとかという人が東国で、いろをしという者に殺されたと聞いてますので、その人に逢って恨みを晴らしたいと思い、尋ねたのです」

  いろをしは、
「よくぞ訪ねてきたものです。そのようなこと、確かにありました。しかし、ここで決闘しては道場を汚してしまいます。前の河原へ参りましょう。なんとも恐れ多いことゆえ、付き添いの者はどちらにも味方しないでください。皆の迷惑を引き起こすと、念仏の妨げになりましょうから」
  そう言い定めて、ふたりで河原に出て決闘し、心ゆくまで刺し違えて、ふたりとも死んでしまった。

ファイティングポーズ

  ぼろぼろという人たちは、昔は存在しなかったのだろうか。近年、ぼろんじ、梵字、漢字などと呼ばれていた者たちが起源なのだそうだ。ぼろぼろは世を捨てた出家者に似ているが、自己への執着が強い。仏道に邁進しようと願うように見えて、喧嘩ばかりしている。
  やりたい放題の恥知らずのていたらくであるが、この二人のぼろぼろは、死を死とも思わず、少しも生死にこだわらない振舞いが潔く思えたので、ある人が語ってくれたままにここに書き記しておいた。

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