1分で読む現代語訳・徒然草

心は物に反応し捉われる
だから…と吉田兼好が説く

 徒然草・第157段
      ◇筆を取れば物書かれ

  • 必読評論
    何かをするのに形から入るというのはひとつの真理

  筆を手に取れば物を書いてしまい、楽器を取れば音を出そうと思う。盃を手にすれば酒を思い浮かべ、サイコロに触れればバクチをしたいと感じるものだ。気持ちというものは必ず物事に接して生じるものなのである。それゆえにかりそめにでも良くない遊びに興じてはいけない。

  ちょっと経典の一句に目を遣れば、なんとなくその前後の文章も見てしまうものだ。そのおかげで思いがけず長年思い違いしていたことを学び改めることもある。もし今、この経典を広げて読まなければ、この思い違いを知る事はない。
  これがいわゆる物事に接することのメリットである。信心が振るわずとも、仏前に座って数珠を手に取り経典を手にすれば、怠けつつも善を得る業をおのずと実践できる。気もそぞろに乱れながらでも着席して座禅すれば、気付かぬうちに精神統一されて寂静の心境に達するものだ。

筆

  現象と真理とは別々のものではなくひとつのものである。言動や行為が正しいものであれば、心の悟りも必ず実現する。だから形だけの勤行に対しても、信心が足りないなどと言ってはいけない。むしろ敬い尊ぶべきなのだ。

 徒然草・第158段
      ◇盃の底を捨つる事は

  • 日常
    言葉の由来シリーズその1

「飲んだ後の酒の盃を人に差し出す際に、盃の底に残った酒を捨てることを、どう考えるのか」
  ある人がこうお尋ねになったので、
「それを凝当(ぎょうどう)と言いますが、底に凝り残った酒を捨てることから来ているのではないでしょうか」
と申し上げたところ、
「そうではない。魚道(ぎょどう)と言うのが正しくて、酒を残しておいて口をつけたところをすすぎ洗うためだ」
と仰った。

酒

 徒然草・第159段
      ◇みな結びと言ふは

  • 日常
    言葉の由来シリーズその2

「みな結びという結び方は、糸を結び重ねたものであるが、蜷(にな・みな)という貝に形が似ているのでそう呼ぶのだ」
と、ある高貴な人が仰っていた。「みな」と呼ぶのが正しくて、「にな」と呼ぶのは誤りである。

蜷結び
▲蜷結び(画像引用:株式会社石田大成社)
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