徒然草・第169段
◇何事の式といふ事は
そんなことは本人に言いなさいよと思ってしまいますが
「しきたりを指して『○○式』と呼ぶ表現は、後嵯峨天皇(ごさがてんのう・鎌倉時代の第88代天皇)の時代(1242年~1246年)までは耳にすることなどなかったのに、近頃ではまかり通っている」とある人が言っていたのだが、建礼門院右京大夫(けんれいもんいんうきょうのだいぶ・平清盛の娘の徳子に出仕した歌人)が、後鳥羽上皇(ごとばじょうこう・平安末期から鎌倉初期にかけての第82代天皇)の即位後に再出仕したことを述べて「世の式(しきたり)は何も変わっていないのに、平家は滅んでしまった」と書いてある。
徒然草・第170段
◇さしたる事なくて人のがり行くは
自分がするのはイヤだけど、されると嬉しいそうです
さしたる用件もないのに人の家を訪ねるのは、良くないことだ。用事があって訪ねるにせよ、用件が済んだならすぐに帰るのが良い。長居は非常に煩わしいものである。
人と応対すれば言葉数が多くなり、身もくたびれて心も落ち着かなくなる。万障繰り合わせて時間を費やすことは、お互いにとって何の利益を生まない。めんどくさそうに客に向かって話すのも良くないことである。気乗りしない相手には、いっそ気に入らない理由を言ってしまえば良い。
しかし、お互い同じ気持ちで対座したいと思える人が暇そうにしていて「まだ良いじゃないですか、今日は心行くまでゆっくりとお話をしましょう」などと言うのであれば、この限りではない。
阮籍(げんせき・中国三国時代の人物で、気に入らない人物に対しては白眼で対応し、気に入った人物に対しては青眼で対応したという逸話があることから「白眼視」という故事成語が生まれた)の青い目の話は、誰にでもあることなのだ。
特別な用件もなく人が訪ねて来てのんびりと喋って帰って行くのは、実に良いことだ。また手紙も「長い間ご無沙汰してましたので」という程度に書いて寄越して来るだけでも、とても嬉しい。