1分で読む現代語訳・徒然草

兼好の動物愛護論。第128段
「雅房大納言は才賢くよき人にて」

 徒然草・第128段
      ◇雅房大納言は才賢くよき人にて

  • 評論日常
    兼好の動物愛護論

  源雅房(みなもとのまさふさ・鎌倉時代の公卿)は、学識があり、立派な人物だったので、上皇が宮中の警護をする近衛府(このえふ)の大将に任命しようかと考えておられたころ、上皇の側近が「たった今、呆れたものを見てしまいました」と申し上げたので、「何事だ」とお尋ねになられた。
  「雅房が鷹に餌をやろうとして、生きている犬の脚を斬っていたのを、生垣の隙間から見ました」と答えたものだから、上皇は忌々しく疎ましく感じられ、普段からの雅房への評価は墜落し、昇進することもなくなってしまった。

  あれほどの人物が鷹などを飼うというのも意外ではあるが、犬の脚の件は事実ではない。嘘の進言の被害に遭われたのは可哀想であるが、こうしたことをお聞きになって、雅房を憎むようになられた上皇の御心はたいへん尊いものだ。

鷹

  だいたい生きものを殺し、傷つけ、戦わせて遊んで楽しむような人は、互いを殺し合う獣みたいなものだ。あらゆる鳥や動物、小さな虫までも、注意して観察してみれば、子を思い、親を慕い、つがいは連れ添い、妬んだり怒ったり欲が強く、自身をかわいがり、命を惜しむことは、全くの愚かな存在であるからして、人間以上のものがある。そんな感受性の高い動物たちに苦しみを与えて命を奪うようなことをして、可哀想だと思わないのだろうか。

  総じてあらゆる生きものを見て、慈悲の心を持たない者は人間ではない

 徒然草・第129段
      ◇顔回は志人に労を施さじとなり

  • 評論故事
    心と暴力について

  孔子の弟子の顔回(がんかい)の心がけは、人に苦労をかけないことだった。おおよそ人を苦しめ、虐めることがあっても、庶民の意志までも奪ってはならないのである。
  また、幼い子を騙し、脅し、からかって面白がることがある。大人はそうしたときにおふざけの冗談なのだからと大袈裟には受け取らないが、幼い子の心には身に沁みて恐ろしく、恥ずかしく、嫌な気持ちに切々となるであろう。子の心を悩ませて面白がることは、慈悲の心ではない。大人の喜び、怒り、悲しみ、楽しみもすべて存在しない虚空のものだが、誰だって存在しないモノが実在するような現実に執着するではないか。

子供

  身体を傷つけることよりも、心を傷つけることのほうが、人間をより深く傷つける。病気にかかることだって、その多くは心が原因である。外から入って来る病気は少ない。
  薬を飲んで汗をかこうとしても、大して効果がないこともあるが、ひとたび恥ずかしく思ったり、恐怖を感じたときに必ず冷や汗が出るのは、心が関与しているからだということを知っておくべきである。
  とんでもない高所で額に入れる文字を書いて、恐怖のあまり白髪頭になったという例だってないこともないのだ。

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