1分で読む現代語訳・徒然草

まるで方丈記?な第25段
「飛鳥川の淵瀬常ならぬ世に…」

 徒然草・第25段
      ◇飛鳥川の淵瀬常ならぬ世にしあれば

  • 必読評論無常
    書き出しがなんとも方丈記そっくり?

  飛鳥川の淵や瀬がそのままの状態であり続けず、変わって行くような世の中なので、時が移り出来事も過ぎ去り、楽しみ悲しみが行き交った結果、華やかだったところも人が住まない野となり、昔と変わらぬ家も住む人は代わっている。
  桃やスモモの木は喋るわけではないので、誰とともに昔のことを語り合えばいいのだろう。まして見たこともない大昔の尊い身分の人の住居の跡は儚く感じられるものだ。

  藤原道長(ふじわらのみちなが)邸や法成寺(ほうじょうじ・道長によって建設された寺院)を見ても、創建の志はあれども、今や変化してしまっているのは哀しいものだ。道長が立派に造営し、荘園も多く寄せられ、一族のみの栄華が行く末まで続くと考えられた当時に、どんな世になろうがここまで荒廃するとは思わなかったであろう。

寺の瓦

  大門や金堂は最近まで現存したが、南門は消失した。金堂も倒れたが再建の様子もない。無量寿院だけが残っている。残っている仏像9体と権大納言・藤原行成(ふじわらのゆきなり)の額や能書家・源兼行(みなもとのかねゆき)の書いた扉の鮮やかなのが趣深い。法華堂などもまだ現存するが、いつまであるものか。
  ところどころに礎石だけが残っているところもあるが、何の建物の跡だったのか知る人もいない。

  なので全てにつけて死後の未来まで思い描いていろいろやったところで、はかないものだ。

 徒然草・第26段
      ◇風も吹きあへずうつろふ

  • 評論
    男女の別れは兼好だって悲しいんです

  風が吹かないのに散るような人の心の花。親しくしていた年月を思えば、情緒たっぷりだった言葉は忘れられないのに手の届かぬ遠い存在になっていくのは、故人との別れより悲しい。
  白い糸が別の色に染まることを悲しんだり、道が分岐して分かれているのを悲しむ人もいたそうである。
  堀川天皇の時代に選ばれた百首の和歌に「昔見し妹が墻根は荒れにけりつばなまじりの菫のみして(昔通った恋人の家の垣根は今は荒れてしまった。雑草の中にスミレが咲いているだけだ)」とあるのだが、寂しい風景にはそういうものもあるのだろう。

スミレ
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