徒然草・第7段
◇あだし野の露消ゆる時なく
40歳までに死ねと説きつつ、自身は70歳近くまで生きていたという矛盾
化野(あだしの・京都嵐山の墓地)の露が消える時がなく、鳥部山(とりべやま・京都東山の火葬場)の煙がいつまでも立ち去らないでいるように、人間がずっと生き続けたならどれほどつまらないものだろうか。命に定めがないことこそ良いのだ。
命あるものを見てみれば、人間ほど長生きするものはない。かげろうは夕方を待って死に、蝉は春や秋を知らずに死ぬではないか。そう考えれば一年過ごすのでも、のんびりと感じるものだ。長い命ですら足りないと思うならば、たとえ千年を過ごしても一夜の夢のように思うだろう。長々と生きて、老いた醜い姿になるのを待ったところでどうするのか。長生きすると恥をかくことも多い。せいぜい40歳に足らぬくらいで死ぬのが見苦しくないのだ。
40歳を過ぎてしまうと、見た目を恥じもせず人々に交わり、傾いた夕陽のような年齢になっても子や孫を愛する。行く末まで栄える姿を見たいと長寿を望んで、やたら世俗の欲を貪る心ばかり深くなる。こう情趣のない生きざまになっていくのは、情けないことだ。
徒然草・第8段
◇世の人の心惑はす事
吉田兼好ですらエロには勝てず
人の心を惑わせることといえば色欲に勝るものはない。人って愚かだ。香りなんてその場限りの物なのに、衣装から良い香りがすればときめくものだ。
久米の仙人が洗濯している女の白い脚を見て神通力を失ったと言う話があるが、綺麗な肌やふくよかな手足を目にすれば、さもありなんである。
徒然草・第9段
◇女は髪のめでたからんこそ
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そんな兼好の女性対策?
女は綺麗な髪が人を引き付けるが、人柄や気立ては、話し声を聞けば物越しであっても判るものだ。
女は男の心を惑わす。熟睡もせずわが身を惜しまず耐えられない状況でも耐え忍ぶことができるのは、女は恋に生き暮らすためだ。
まったく女への執着は根深く深淵でどうにもならないものである。人の五感を刺激するものは多々あれど撥ね退けることができるが、ただ女に関してだけは老いも若きも理知ある人も愚か者も断ち切りがたい。
なので、女の髪で作った綱は大きな象も繋ぎとめられるし、女が履いた下駄で作った笛の音には秋の鹿が寄って来ると言われるのだ。自らを戒めて恐れ慎むべきは、女への迷いである。