徒然草・第155段
◇世に従はん人は
死は背後から迫りくる
世の流れに沿って生きて行こうとする人は、何よりもタイミングを把握して知らねばならない。
モノの順序を間違うと、人は耳を貸さず、心にも背くことになるので結果的に物事を成就できなくなる。そうしたタイミングというものを弁えておくべきであろう。
ただし病気になることと、子を産むこと、死ぬことに関してはタイミングを図ることはできないし、順序が間違っていると言って取りやめになったりもしない。
この世に生じて存在が続き、変化し、消え去るという間違いのないこの重要な事実とは、川の激流がなみなみと水を抱えて流れて行くかのようなものである。一瞬たりとも停滞せず、ただちに実行される。
それゆえに仏道に入っている者だろうが俗世間の者であろうが、絶対成し遂げようと思うことがあるのならばタイミングがどうのこうのと弁明すべきではない。あれこれ準備したり足踏みしたりして時間を浪費してはならないのだ。
春が過ぎて夏になり、夏が終わって秋が来るのではない。春は次第に夏の雰囲気を装いはじめ、夏には既に秋の気配を漂わせ、秋はすぐに寒くなり、陰暦10月は小春日和、草も青くなって梅も蕾を付ける。
木の葉が落ちるのも先に葉が落ちてから芽が出るのではなく、葉の下から萌え出ずる芽に耐え切れずに落葉するのだ。これは芽が生気を宿しているために、葉が落ちるとすぐ芽が出るのである。
この世に生じて存在が続き、変化し、消え去ることは、自然の摂理以上のスピードを持つ。それでも四季にはまだ定まった順序というものがある。しかし死は突然やって来るのだ。死は前からやって来るとは限らない。そっと背後に忍び寄って来ることもある。人はみな、いつか死ぬことを知っていながらも、死が急に来るとは思わずにいるが、そんな時にこそ死は襲い来るものなのである。
それは沖の干潟は遠くに見えるけれども、磯辺から潮が満ちて来るのと似ている。
徒然草・第156段
◇大臣の大饗は
当時にはいろんな風習があるようで
大臣になった人が催す宴は、その大臣が相応しい場所を借用申請して挙行するのが通常である。
藤原頼長(ふじわらのよりなが・保元の乱で敗死した平安時代末期の公卿)は東三条殿(ひがしさんじょうどの・京都市中京区の摂関家の当主の邸宅)で行った。この東三条殿は当時は内裏であったのを、頼長が借用申請したので、天皇はよそへ行幸なさったそうだ。
これというほどのコネが無くとも、皇太后の御殿などをお借りするというのが昔からの慣習である。