徒然草・第144段
◇栂尾の上人道を過ぎ給ひけるに
ダジャレ小噺
栂尾(とがのお・京都市右京区)の高僧が道を通り過ぎていたとき、川で馬を洗う男が「足、足」と言っていた。
高僧は立ち止まって、
「なんと尊く素晴らしいことか。前世の善行が現世に現れた人だろうか。阿字、阿字(あじ・あらゆる事象の不生不滅の根源として捉えられる、すべての梵字に含まれている梵語字母の第一字)と唱えているじゃないか。どんな人物の所有する馬だろう。なんとも尊く感じることだ」
と尋ねたら、
「府生殿(ふしょうどの・六衛府や検非違使庁などの下級職員)の馬でございます」
と答えた。
「これはすばらしい。阿字本不生(あじほんふしょう・阿字は宇宙の根源で永遠に存在するという思想)ではないか。嬉しいご縁に巡り合えたものよ」
こう言って感涙を拭ったのだそうだ。
徒然草・第145段
◇御随身秦重躬、北面の下野入道信願を
あいつはいつかしでかす、と思っていたら現実になったという話
上皇の外出時の警護を担当する秦重躬(はだのしげみ)が、院の御所を警備する下野入道信願(しもつけのにゅうどうしんがん)に、
「落馬する相がある人だ、よくよく気を付けてください」
と言ったものの、聞いた周囲の人たちは全く本当のことだと思わなかった。
ところが信願は馬から落ちて死んでしまった。その道に秀でた彼のひとことは、神の言葉のようだと人たちは思った。
それゆえに、
「どんな相だったのか」
と人が尋ねてみると、
「彼は非常に桃尻で、躍り上がる癖のある馬を好んでいたので、この相を負うはめになったのだ。いつだって私は間違いを申したことはない」
と言ったらしい。
徒然草・第146段
◇明雲座主相者にあひ給ひて
占いというモノはこういうことなのかもしれない
明雲(みょううん・平安時代末期の天台宗の僧)が人相見に会って、
「自分にはもしかすると武器に関わる災難があるだろうか?」
と尋ねたところ、人相見は、
「確かにその相があります」
と答えた。
「どんな相だ?」
と尋ねると、
「他人から傷害を受けるはずのない身分であられるのに、かりそめにもそう思いついてお尋ねになるという行為が既にその心配の凶兆だ」
と申し上げる。
そのとおりに矢に当たって死んでしまった。