徒然草・第61段
◇御産の時甑落す事は
こんな風習があったのですね
お産の時に器を屋根の上から落すという風習はいつもするということではない。後産がなかなか終わらないときにする、おまじないである。後産が長引かなければ必要ないのだ。
これは庶民の間から始まった風習で、ちゃんとした由来があるわけではない。器は大原(京都市左京区)の器を取り寄せて使う。古い宝物庫にある絵に、賤しい身分の者が子を生んだ時に器を落した様子が描いてある。
徒然草・第62段
◇延政門院いときなくおはしましける時
ちょっぴり暗号のような和歌
延政門院(えんせいもんいん・後嵯峨天皇の第2皇女)が幼少のみぎりに、御所へ参内する人に託して父帝に詠んだ和歌。
ふたつ文字 牛の角文字 直(す)ぐな文字 歪み文字とぞ君は覚ゆる
(ふたつ文字【こ】、牛の角文字【い】、まっすぐな文字【し】、ゆがんだ文字【く】と、父のことを思っています)
恋しく思っているという意味なのだ。
徒然草・第63段
◇後七日の阿闍梨武者を集むる事
内裏の仏事における風習
正月明けの内裏での仏事で高僧が警備のために武者を集めるということは、いつだったか仏事の最中に泥棒に入られたことがあったため、警護役としてこのように大げさなことをするようになったのだそうだ。
一年の吉凶はこの仏事に表れるとのことで、兵を使わねばならぬほどに重要なのである。
徒然草・第64段
◇車の五緒は
- 鎌倉時代の車のステイタス
五つ緒と呼ばれる飾りがついた簾のある牛車は、身分によってではなく、家格に応じて出世を極めたら乗るものだ、とある人がおっしゃっていた。
徒然草・第65段
◇この比の冠は
- 鎌倉時代のフォーマルファッションにも流行が
最近の冠は以前よりかなり丈が長くなっている。昔の冠入れの箱を持っている人は、丈の長い冠を入れるために箱の縁を継ぎ足して長くして使うのだ。
徒然草・第66段
◇岡本関白殿盛りなる紅梅の枝に
その道のプロには素人にはわからない流儀があるってこと
近衛家平(このえいえひら・鎌倉時代後期の公卿)が満開の紅梅の枝につがいのキジを添えて、この枝に取り付けよと下毛野武勝(しもつけののたかかつ)という鷹匠に命じた。
「花が咲く枝に鳥を取り付けるやり方は知らない。一枝に二羽取り付ける手法も知らない」と答えるので、家平は料理人や他の者にも尋ねた上で「では思うようにやってみなさい」と言うと、武勝は花の無い枝に一羽だけ取り付けて参上した。
武勝が言うには
「キジは梅ならば蕾か、花が散った枝につけるものだ。ほかの木や五葉の松でもよい。枝は6か7尺(約2m)で、切り口は直径5分(1.5cm)に、枝の中ほどにキジを添える。キジを添える枝とキジの足を載せる枝がある。アオツヅラフジの蔓を裂かずに使い、キジの足を2か所結びつける。蔓の反対側の先は牛の角のようにたわませておく。
完成したら初雪が降った朝、枝を肩に掛けて中門から堂々と入るのだ。石畳の上を歩く。土の上を歩いて足跡をつけてはならない。キジの風切羽の毛を少し抜いて散らし、寝殿の隅の欄干に枝を立てかけておく。衣服を賜るときは肩に掛けて、礼をして退出する。初雪の日でも、靴の先が隠れないほどしか積もらないなら参上しない。
風切羽を散らすのはタカはキジの風切羽のあたりを掴んで捕獲することから、タカが狩ったという体裁にするためだ」とのことだった。
しかし、満開の枝にキジを取り付けないというのはどういうことなんだろう。
九月ごろ造花の梅の枝にキジを取り付けて
「我がたのむ 君がためにと 折る花は 時しも分かぬ ものにぞありける(頼りにしている主君のために折った梅の枝には時節も関係なくいつも花が咲きキジがとまっている・「時しも」の部分が「時」と「キジ」の掛け言葉になっている)」と伊勢物語(奈良時代の歌物語)にある。梅の花の枝でも造花なら満開でも構わないのだろうか。