徒然草・第27段
◇御国譲りの節会行はれて
人の心の頼りなさはこんなときにも露見します
天皇の譲位の儀式が行われ、三種の神器を渡し申し上げるのは非常に寂しいものだ。
花園上皇が退位した春に詠んだのが「殿守のとものみやつこよそにして掃はぬ庭に花ぞ散りしく(役人たちが掃除しない庭には散った桜の花びらが敷き詰められている)」。
新帝の世になり、忙しさにかまけて上皇のもとを訪ねる人もないのが寂しそうだ。こんなときこそ人の本心が露わになるのである。
徒然草・第28段
◇諒闇の年ばかり
一瞬で読めます
天皇が喪に服す年ほど感じ入るものはない。
服喪のため籠られる部屋は作りも違っていて、調度品も質素、お付きの者たちの服装や太刀まで普段とは異なり厳粛な感じがする。
徒然草・第29段
◇静かに思へば万に
過去を懐かしく思う気持ちは誰も同じ
静かに思えば、どんなことであれ過去の懐かしさだけは止めることができないものだ。
皆が寝静まったあとで長夜の暇つぶしにと物を片付けたり、書き損じの紙を破り捨てたりする中に、今は亡き人が書いたものや絵が出てくれば、ただただ当時の気持ちが蘇る。
まだ生きている人からの手紙でも、時が過ぎてどんなときにいつ頃もらったのだろうかと思えば懐かしさを覚える。亡き人が使っていた道具類は今も変わらずにそのままなのが、また却って悲しさがこみ上げてくるのだ。