徒然草・第194段
◇達人の人を見る眼は
嘘に対する人のふるまい十人十色
世間を達観した人が持つ「人を見る目」というものは、少しも誤りがない。
例えば、ある人が世間に嘘を繰り出して他の人を騙そうとする。すると素直にも本当のことなのだと信じ、言うがままに騙されてしまう人がいる。あまりに深く信じてしまい、加えて煩わしいことに嘘の上塗りをして言葉を付け加えてしまう者もいる。
また、嘘を何とも思わず、気にも留めない人もいる。また、多少は疑わしいと思いつつ、信頼するでもなく信頼しないでもなく、考え込む人もいる。
また、本当のことだとは思わないまでも、人が言うことなので、そういうこともあるのだろうと、そこで思考停止する人もいる。
また、さまざまに考えを巡らせ、会得したような顔をして、賢い人のようにうんうんと頷いて微笑しているけれど、実際のところはてんで何も判っていない人もいる。
また、推測した結果、「ああ、そうだなあ」と思いながら、それでも間違っている部分があるかもしれないと怪しむ人もいる 。
また、「あれは間違っていなかった」と、後になって手を叩いて笑うような人もいる。
また、嘘だと分かっていても嘘だと言い出さず、自分がはっきりと知っていることについても明言せず、知らない人と同じようにして過ごす人もいる。
また、この嘘の真意を最初から把握していて、嘘の発信者を少しも軽蔑することもなく、その人と同じ気持ちになって嘘の流布に協力する者もいる。
愚か者たちが嘘を繰り出す戯れ言ですら、真実を知る人の前では、これらのさまざまな嘘の捉え方は、言葉からも表情からも隠しきれずに知られてしまう。
ましてや世間を達観した人が、嘘に振り回される私たちを見透かすことは、手のひらの上の物を見るくらいに簡単なことだ。
ただし、このような推測で、仏法で言うところの「嘘も方便」の嘘までもこれと同列に扱ってはいけない。