徒然草・第39段
◇或人法然上人に
賢人の返答の妙
ある人が法然上人(ほうねん・浄土宗の開祖)に「念仏を唱える際に、睡魔に襲われて勤行を怠ってしまうのだが、どうすればよいか」と尋ねたところ、「目が覚めている時は念仏を唱えなさい」とお答えになったのは非常に尊いことである。
また、「極楽浄土へ行けるかどうかは、確実であると思えばそうであるし、不確実であると思えばそうである」と仰った。これも尊いことである。
また、「念仏を唱えるだけで極楽浄土へ行けるかどうか疑いながらも念仏を唱えれば行けるのである」とも仰った。これもまた尊いことだ。
徒然草・第40段
◇因幡国に何の入道とかやいふ者の娘
あっさりした書きかたが、また可笑しさを誘います
因幡国(鳥取県)のなんとかという僧の娘が美人であるという話を聞いて、多くの人が言い寄ったけれども、この娘がただただ栗ばっかり食べて、全く米などを食べなかったので、
「こんな変な娘は人様に見せられない」と言って、親が許さなかった。
徒然草・第41段
◇五月五日賀茂の競べ馬を見侍りしに
結果的に自慢話になっている気が
五月五日に上賀茂神社(かみがもじんじゃ・京都市北区の神社)での競馬を観に行ったが、牛車の前に身分の低い者たちが大勢いたためよく見えなかったので、皆は牛車から下りて柵のそばまで近寄ったものの、そこはさらに人が多くて分け入る隙もない。
そんな折、柵の反対側にある栴檀の木に登って、枝のところに座って競馬を観ている僧侶がいた。
木の枝をつかんだまま大層ぐっすり寝てしまっていて、落ちそうになっては目を覚ますことが何度も続いていた。
その様子を見た人が嘲って「世界に類を見ないバカなやつだ。こんな危ない枝の上で、安心しきって眠ってるぞ」と言ったので、心に浮かんだことを思ったままに「人の死は今来るかもしれない。なのにそれを忘れて競馬を観て過ごすということは、あの僧侶の愚かさに勝るとも劣らないであろう」と言ったら、前にいた人たちは「ほんとにそのとおり。我々こそ最も愚かだ」と皆は後ろを振り返って「ここにお入りなさい」と場所を譲って私を招き入れてくれた。
この程度の道理を思いつかない人はいないだろうが、ちょうどよい折だったこともあって思いがけない心地がして人の心に響いたのだろう。
人は木や石のような無機物ではないので、時には何かに感慨を受けることもあるのだ。