徒然草・第189段
◇今日はその事をなさんと思へど
要は、なるようになるんです。
今日はこれをしようと思っていても、急用が飛び込んで来てそちらに付きっきりになってしまったり、待ち人は支障が発生して来ずに、どうでもいい人が訪ねて来たりする。
頼みにしていたことは上手くいかないのに、思いもよらないことは成功したりする。
厄介な煩わしいことは意外とあっさり解決したりするのに、容易いと軽んじていたことは実際には大変難儀だったりする。
日々過ぎていくありさまというものは、前から予想していた物とは似ても似つかぬものだ。一年の間でもそうであるし、一生の間でも同じである。
予想が全てハズれるのかといえば、まれに当たったりもするので、ますます物事を決めることが難しくなる。
全ては定まりがなく不確かなものであると心得ておくのが真理であり、ハズれることもないのだ。
徒然草・第190段
◇妻といふものこそ
これは現代なら非難の嵐になりそう
妻というものは、男が持ってはいけないものである。
「あの人はずっと独身だ」と耳にすると、奥ゆかしい人なのだと思われるものだ。
逆に「誰それが結婚した」とか「なんとかという女を囲って同棲している」などという話を聞けば、なんとも酷く馬鹿にしたい気になってしまう。取り柄のないつまらぬ女に惚れこんで連れ添っているのだろうと、ついつい想像してしまうし、良い女ならば、可愛がって仏のように崇めて大切にしているのだろう。なんだかその男の程度が見透かされてしまう。
まして家の中の事をきっちり執り行う女はつまらない。子供が生まれて大切に愛情を注いでいるようすは嫌なモノである。夫が死んだあと、尼になって年をとっていくありさまときたら、夫の死後までも興ざめになる。
どんな女であっても、明けても暮れても顔を突き合わせていては、気に食わないことも多くなり、嫌気がさすはずだ。女にとっても、嫌われるけれど離縁もできずという宙ぶらりんな状態に陥ってしまう。
よそに住んだままで時折女の家を訪ねるというスタイルこそ、男女の長続きの秘訣である。思いもせずに相手が訪ねて来て泊まっていくほうが、女にとっても新鮮な気持ちのままでいられるはずだ。