1分で読む現代語訳・徒然草

何でも手を広げるべからず
第171段「貝を覆ふ人の」

 徒然草・第171段
      ◇貝を覆ふ人の

  • 評論故事
    拡大路線はいつか躓くものです

  貝覆い(蛤の殻を並べ、見本の殻と対になる殻を当てるゲーム)をする人が、自分の目の前にある貝に目もくれずに余所を見渡しているようでは、対戦相手の袖の陰やら膝の下にまで目を配っている間に、すぐ前にある貝を取られてしまう。上手な人は余所までむやみやたらと手を伸ばさずに、手近な貝だけを取っているようではあるが、結局のところたくさん取ってしまうものだ。

  碁盤の隅っこに碁石を載せて指で弾く際に、反対側に置いた石を見詰めながら弾くと当たらない。自分の手元をよく見て、手前にある聖目(ひじりめ・碁盤に描かれた9つの黒点)を目標にまっすぐ弾くと、置いた石に必ず当たるのである。

碁盤
▲赤丸部分が聖目(画像引用:スマート碁盤)

  あらゆることを自ら範疇の外に向かって追い求めてはいけない。ただ自らの範疇を正しくこなすべきである。
  趙抃(ちょうべん・中国宋の地方首長)の言葉に「善行を積み重ねよ。将来を人に尋ねてはいけない」というものがある。世を治める手法もこれと同じだ。自らの範疇を慎まず、軽々しくやりたい放題にでたらめを続けていれば、遠い国が我が国に攻めて来る段になって初めて対策を立てるような事態になってしまう。

  これは「冷たい風に身体を晒して、じめじめした場所で寝ているくせに、いざ病気になったら神頼みで快癒を願うのは愚かな人だ」と医学書に書いてあるのと同じことである。
  為政者は目の前に居る人の憂いをなくし、恵みを施し、正しい道を進めば、その効果が伝播して遠くまで行き渡るということを知らない。禹(う・紀元前2070年頃の中国・夏の帝)が三苗(さんびょう・中国南部の民族)を征伐したことも、大軍を引き返して徳政を施したことに較べれば価値のないことなのだ。

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