徒然草・第15段
◇いづくにもあれしばし旅立ちたるこそ
旅は良いものですよね
どこでもいいからしばらく旅に出ることは目が覚める。あちこち歩き回けば、田舎びた場所や山里など見慣れない物が多い。
都へ手紙を送り「あれとこれを忘れずにやっておいて」と言い送るのもいいものだ。
旅先こそ全てに心配りもでき、人が持つ道具までも良いものはさらに良く見えて、芸達者な人や美しい人もいつもより際立って見える。
寺や神社に籠るのも趣きがある。
徒然草・第16段
◇神楽こそなまめかしく
- 一瞬で読破できます
神楽(かぐら)は優雅で風情がある。一般的に楽器の音色は笛、篳篥(ひちりき)が良い。いつも聴いていたいものは琵琶と和琴である。
徒然草・第17段
◇山寺にかきこもりて
- これも一瞬で読破できます
山寺に籠って仏に仕えることは、暇を持て余すこともなくなり、心の濁りも消える心地がする。
徒然草・第18段
◇人は己れをつづまやかにし
ここまで徹底すれば確かに清々しい
人は自分を質素に保ち、贅沢をせず、財を持たず、世の名声などを貪ることがないのが良い。昔から賢い人は富を持たないのだ。
中国の許由(きょゆう)という人は備える蓄えもなく、水も手で掬って飲んでいたので、人がそれを見てヒョウタンを与えたのだが、木の枝に引っ掛けておいたところ風に吹かれて音を立てたのでうるさいと思って捨ててしまった。そしてまた手で掬って飲むようになったのだそうだ。
どんなにか彼の心の内は清々しかっただろう。
孫晨(そんしん)は冬の間も布団を持たず、藁ひと束を持ち、夜はそれに寝て、朝には片づけたのだそうだ。
中国の人はこれを素晴らしいと感じたからこそ書き留めて世に伝えたものだが、我が国の人はそういうことを語り伝えそうもない。