徒然草・第70段
◇元応の清暑堂の御遊に
トラブルがあっても機転を利かせて回避
元応元年(1319年)清暑堂(せいしょどう・大内裏の堂)で行われた行事のとき、玄上(げんじょう)と呼ばれた琵琶の名器の行方が判らなくなっていたころ、今出川兼季(いまでがわかねすえ・鎌倉末期の公卿)がもうひとつの名器・牧馬(ぼくば)を弾いた際の話。
座について、まず琵琶の柱(じゅう)という止め具を触ったところ、ぽろっと取れてしまった。兼季が懐に入れてあった飯粒で固定したところ、神様への供え物が上げられる時間の間にいい具合に乾いて事なきを得た。
どんな意図があったのか、見物していた女が牧馬に近づいて柱を外して、もとのように置いておいたのだそうだ。
徒然草・第71段
◇名を聞くよりやがて面影は
デジャブってありますよね
会ったことのない人の名前を聞いたとき、すぐにその人の見た目が想像できるのに、実際に会ってみるとところがどっこい思い描いていたままの顔かたちの人というのはないものだ。
昔の話を聞いて、その話の出来事は今の時代のこの家あたりであったことだろうと思ったり、話の登場人物もまた今の時代にいる人になぞらえて考えてしまうのは、誰もがやはりそうするものなのだろうか。
またちょっとした折に、まさに今、人が言ったことも目に見える物も、心の中で以前同じことがあったなと思われて、それがいつの話だったか思い出すことはできないけれども、確かにあったと思われるのは、私だけなのだろうか。
徒然草・第72段
◇賤しげなる物
枕草子の「ものづくし」です
下品なもの。
座っている場所のそばにたくさん置かれた家具。硯の中に筆をたくさん置いてある。お堂の中にたくさん仏像が安置してある様子。庭に草木がたくさん繁っている。子だくさん、孫だくさん。喋る時にやたら多弁。神仏に祈願する際の願文に己の善行をたくさん書き連ねている。
数が多くても見苦しくないものは、書物を運ぶ台車に乗った本。ゴミ捨て場のゴミ。