1分で読む現代語訳・徒然草

大切な事を見極め優先的に動く
第188段「或者、子を法師になして」

 徒然草・第188段
      ◇或者、子を法師になして

  • 必読評論故事
    すぐやるべきことは何かを見極めることの大切さ

  ある人が自分の子を僧侶にして、
「仏法を学び、因果応報の理を知り、説法などをして生計を立てるようにしなさい」
と言ったので、その子は親の教えのままに説法の講師になろうとして、まずは乗馬を習い始めた。
  輿(こし・写真参照)や牛車を所持しない身で、説法の講師として招かれた時に馬で迎えに来た場合、桃尻で落馬してしまっては恥ずかしいだろうと思ってのことである。

  次に、法事のあとに酒などを勧められることもあるはずで、僧侶が酒席でひとつの芸も披露できねば檀家たちががっかりしてしまうだろうと思い、早歌(そうか・鎌倉時代に貴族、武士、僧侶の間で流行した歌謡)というものを習った。
  乗馬と早歌の両方がだんだんと熟練の域に達してきたので、ますます上達させようと本腰で頑張っているうちに、肝心の説法を習得する時間が取れず、そのまま年老いてしまった。

輿
▲輿(画像引用:風俗博物館)

  この僧侶に限らず、世間の人はおしなべてこんな感じである。若いうちは何かにつけて立身出世を望み、大きな業績を立てようとし、芸事を身に付けようとし、学問も修めようと長く続く将来を計画する。
  しかし生涯は長いものだと思ってしまって、だらけてしまう。そしてついつい差し当たって目の前にある事だけに振り回されながら月日を過ごしてしまい、全く成就せぬままに身は老いてしまうのだ。
  結局何かひとつの道を究めることもできず、思ったほどに暮らしも良くならず、後悔してもやり直しの利かない年齢になってしまっているので、走りながら坂を下る輪のように衰えていく。

  ならば生涯の間に、数ある理想の中からどれを優先すべきかをよく比較検討して、第一にするべき事を決定し、それ以外は投げ捨てて優先事項を励むべきなのだ。
  一日のうち、一時の間であっても、数多くのするべきことの中から少しでも利益の多いことを実践し、それ以外のことは放置してしまって、大事な事を急いでやるべきである。
  あれもこれも捨てずにやらねばと心に思った状態で過ごせば、結果的に何一つ成就しやしない。

スケジュール

  これはたとえば碁を打つ人が、一手も無駄にせず相手の先回りをし、利益の少ない石を捨てて利益の大きな石を取るようなものである。その場合、三個の石を捨てて、十個の石を得ることは容易だ。しかし十個の石を捨てて、十一個の石を得ることは難しい。
  たった一個であっても利益が多い手段を選択するべきなのに、十個を捨てるかどうかの段階になると物惜しみする心が湧いて、薄利の手段を選択しにくいものなのだ。
  手持ちのこれは捨てられない、でもあれは欲しいという心では、得ることもできず、手持ちのものまで失ってしまうのが道理である。

  京都に住む人が、東山(ひがしやま・京都市東山区)に急用があって、既に東山に到着してしまったとしても、西山(にしやま・京都市西京区や長岡京市)に行ったほうが利益があると思い立ったならば、門を出て西山に行くべきなのだ。
「せっかくここまで来たのだから、先にここの用事を済ませてしまおう。日時の指定があるわけじゃなし、西山の用事は一旦帰宅してからまた改めて着手すればよい」
と思うようでは、一時の怠け心がそのまま一生の怠け心となる。これを恐れなくてはいけない。

絵を描く
▲東山・八坂の塔

  ひとつのことを成し遂げようと思うならば、他のことがダメになることを躊躇してはいけない。人の嘲りをも恥ずかしいと思ってはならない。万事を犠牲にしなければ、ひとつの大事なことは達成できないのだ。

  人がたくさんいる場所で、ある人が、
「『ますほのススキ』とか『まそほのススキ』と言う言葉がある。どっちが正しいのかその謂れを、渡辺(わたなべ・大阪市中央区)の僧侶が知っているそうだ」
(※まそほのススキ=穂が赤みを帯びたススキ。「ますほ」は「まそほ」の転訛)
と語ったのを、登蓮(とうれん・平安時代後期の僧)がその場に居合わせて耳にした。雨が降っていたのにも関わらず、
「蓑か笠はありますか。貸してください。このススキのことを伺いに、渡辺の聖のところへ尋ねに行きましょう」
と言い出したので、
「余りにもせわしない。雨がやんでからでも良いではありませんか」
と人が返したところ、
「なんてことをおっしゃる。人の命は雨が止む晴れ間まで待ってくれるものですか。その前に私が死んで、聖まで死んでしまったら、答えを聞くこともできまいに」
と言って走りだして現地へ向かい、答えを習ったらしいと伝わる話は、大変素晴らしいことで稀有である。

「迅速にすれば、成功する」と論語でも言っている。このススキのことを知りたいと登蓮が思ったように、乗馬や早歌にうつつを抜かした僧侶も、悟りを開く仏道修行を第一に思わねばならなかったのだ。

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