徒然草・第191段
◇夜に入りて物の映えなしといふ人
ほの暗いバーを好むような感覚
「夜になると物は見映えがしなくなるものだ」と言う人は、なんとも感心しない。さまざまな物の美しさや飾り物、きらびやかな行事も、夜のほうが素晴らしいものなのだ。
昼間はシンプルで地味な格好をしていればいい。逆に夜は煌びやかで華やかな服装がより相応しいのである。人の姿かたちにしても、夜の灯りに照らされた姿は素敵な姿がさらに素敵に見えるし、話し声も暗がりの中で聞くと、嗜み深い声がますます嗜み深く聞こえて心惹かれるものだ。
香りも楽器の音色も、ただただ夜のほうがひときわ素晴らしい。
特段これといったことのない夜に、夜が更けてから参内する人が、さっぱりした服装でいるのは非常に良いものだ。
若者同士お互いに容姿をチェックし合ったりする人は、時間など関係なしにチェックを入れるものなのだから、特に気を許しがちな場面こそ、平時だろうが特別な行事がある日だろうが関係なく身だしなみをきちんとしておきたいものだ。
立派な男が日が暮れてから髪をセットしたり、女がまた夜が更ける頃に中座し、鏡を手に取って化粧直しをして戻って来ることは、情緒を感じる良い行いなのである。
徒然草・第192段
◇神仏にも人の詣でぬ日
第191段を受けてのシンプルな段
神社であっても寺であっても、人が参詣しない空いている日に、しかも夜にお参りするのが良いものだ。
徒然草・第193段
◇くらき人の
専門家を侮るべからず
賢くない人間が、他人のことを類推してその人の知的レベルを掴んだ気になっていても、それは全くの的外れというものだ。
碁を打つことだけが上手な愚か者が、碁を上手く打てない賢い人を見て、自分の知的レベル以下であると決めてかかったり、さまざまな分野の職人が、自分が得意とする分野のことを他人がよく知らないことを見て、自身が優れているのだと思ってしまうことは、大きな間違いである。
経典を学ぶことを専らとする僧侶と座禅を専らとする僧侶が、互いの力量を類推し合って、相手が自分以下であると思っているのは、どちらも間違ったことなのだ。
自分の専門外のことを他人と争うべきではない。その是非を論じてはならない。