徒然草・第80段
◇人ごとに我が身にうとき事をのみぞ
コレ、武道家が読んだら怒りますよ
誰も皆、自分に縁遠いことばかり好むものだ。
僧侶は武術に励み、東国の武士は弓を引くすべも知らずに仏法の心得を見せ、連歌をしたり音楽を嗜んでいる。
しかし、専門分野をおろそかにする以上に専門外のことばかりやっているようでは蔑視されてしまうだろう。
僧侶にとどまらず貴族たちまで揃って武術を好む人が多い。しかし百回戦って百回勝ったとしても武勇の名声を定めることはできない。なぜなら運が効して敵を砕いたなら誰もが勇者であるからである。逆に兵力が尽き、矢が無くなって、それでも降伏せず死んでいったのちこそ初めて武勲を表明できるのだ。
つまり生きている間は武術を誇ってはいけない。武術なんてものは人間のあるべき道からは程遠く、獣に近いふるまいであり、武術の道を専門としない人が励んでも無意味なのだ。
徒然草・第81段
◇屏風障子などの絵も文字も
家具や道具のチョイスのしかた
屏風や障子などに描かれた見苦しい絵や文字というものは、みっともないというよりも、家主の品性が劣って感じられる。おおよそ所持している調度品を見ただけでも、持ち主がくだらなく感じられることはあるものだ。
立派な品物を必ず持たねばならないというものでもない。ただ、壊れないようにと品位もなくみっともない感じに設え、珍品に見せたいからと役にも立たない装飾をうるさいくらいに添えるようなことを言っているのである。
古いつくりで、大層な装飾もなく、壊れにくい、品質が良い物がいいのだ。