徒然草・第130段
◇物に争はず己を枉げて人に従ひ
要はギャンブルするな、勝とうとするなということ
人と争わず、自分を曲げて人に従い、自分を後回しにして他人に先を譲るに越したことはない。
さまざまな遊びにおいても、勝ち負けにこだわる人というものは、勝って喜びたいからこだわるのである。自身の腕前が他人よりも勝っていることを喜ぶのだ。だから負けると面白くないのは当然の話だ。自身が負けて他人を喜ばせようと思えば、ますます面白くないであろう。人に嫌な思いをさせて自身の心を慰めようとすることは、反道徳的である。
親しい間柄のなかで冗談を言い合うのにも、他人を陥れようと企んで欺き、自身の機智が勝っていることを喜ぶことがある。これもまた礼儀がない。なので、酒の席での冗談から端を発して、それが長々と恨みを買うことが多いのだ。これらは全て勝ち負けにこだわることの弊害である。
他人に勝とうと思うならば、ただただ学問を修めて学才で勝てば良い。物の道というものを学んだ暁には、自身の長所を誇らず、仲間と争ってはならぬことを知るからである。重い役職を辞したり、利益をも捨ててしまえるのは、ただ学問の力から起こるものだ。
徒然草・第131段
◇貧しき者は
無理はいけません、無理は
貧しい者は金銭を差し出すことが謝礼だと思い、老人は力仕事をすることが謝礼だと思っている。
だが、自分の身の丈というものを知って、それだけの能力がないと悟った時は速やかにやめてしまう方が賢い。それを他人が許さないのは、おかしいことだ。
逆に、身の丈を知らずに無理して仕事に励むのは、そうする自分自身がおかしいのである。
貧しいのに身の丈を知らないままだと盗みを働くようになり、力が衰えているのに身の丈を知らないままだと病気になってしまう。
徒然草・第132段
◇鳥羽の作道は
距離を考えると「そんなバカな」って思うのですが…
鳥羽(とば・京都市南区、伏見区)の新しい道は、鳥羽殿(とばどの・応徳3年(1086年)から白河上皇が建設を命じ、孫の鳥羽上皇の時代に完成した離宮)が建てられた以降に命名された名前ではない。昔からある名前である。
元良親王(もとよししんのう・平安時代中期の皇族)が元日に祝賀の言葉を読み上げるその声が非常に優れていて、大極殿(だいごくでん・宮中の国家的儀式を行う正殿)から、鳥羽の新しい道まで聞こえたということが、吏部王記(りほうおうき/りぶおうき・平安時代中期の皇族である重明親王(しげあきらしんのう)の日記)に記されているそうだ。