徒然草・第124段
◇是法法師は
兼好が羨む僧侶の生きかた
是法(ぜほう・鎌倉時代の僧、歌人)は、浄土宗で誰にも劣らぬ立場でありながら、学者であることをひけらかさず、ただ明けても暮れても念仏を唱えて心安らかに世を過ごしている。まったくこうありたいものだ。
徒然草・第125段
◇人におくれて四十九日の仏事に
坊さんを褒める時は今度からこう褒めよう
人に先立たれ、四十九日の法事にある僧侶をお招きしたところ、その説教がとても素晴らしく、みな涙を流した。
僧侶が帰った後で、説教を聞いた人たちが、
「いつもよりも殊更に今日の説教は尊いものだった」
と感じ入っていたところ、ある者が、
「なんと言っても、坊さんがあれほどまでに中国の犬に似てたというのがもうね」
と言ったので、しみじみとした空気も醒めてしまい、面白かった。僧侶を褒めるのに、そんな褒め方ってあるだろうか。
また他にも、
「人に酒を勧めるのに、自分がまず先にがぶがぶ飲んでから人に無理に飲めと強いる行為は、両刃の剣で人を斬ろうとするのと似ている。剣の上と下両方に刃がついているものだから、剣を持ち上げる時に、まず自分自身の頭部を斬ってしまうので、相手を斬ることができないのだ。
同様に酒を勧めるときに、自分が先に酔って寝てしまえば、相手は飲む気が失せてしまう」
と言っていた人がいた。この人はその剣で試し斬りでもしたことがあるのだろうか。非常に面白かった。
徒然草・第126段
◇ばくちの負極まりて
バクチ打ちのバクチ論
「賭博をしてボロ負けし、さらに残った端金を全部注ぎ込むという者を相手にしてはいけない。勢いが戻り、連勝する時が相手にやって来たのだと知らねばならない。そうした勝負の逆転の潮目を知っている者を上手な博打打ちと言うのだ」
と、ある人が言っていた。
徒然草・第127段
◇改めて益なき事は
簡潔で正論
改めても利益がないことは、改めないほうがよい。