1分で読む現代語訳・徒然草

機転が失敗になった第177段
「鎌倉中書王にて御鞠ありけるに」

 徒然草・第176段
      ◇黒戸は

  • 故事
    どんなものの名前にも由来があるものです

  清涼殿(せいりょうでん・天皇の日常生活の居所)の北側にある小部屋を黒戸(くろど)という。
  光孝天皇(こうこうてんのう・平安時代初期の第58代天皇)が即位されて以降も、即位前の臣下だった時代に自身で料理をされていたことをお忘れになることなく、料理をお続けになった部屋なのだそうだ。
  薪をくべて煮炊きしたので「すす」で黒く染まってしまい、黒戸と呼ぶのだとか。

すす

 徒然草・第177段
      ◇鎌倉中書王にて御鞠ありけるに

  • 故事
    咄嗟の機転が失敗になった一例

  宗尊親王(むねたかしんのう・鎌倉幕府6代将軍)のお住まいで蹴鞠があったときのこと。雨が降った後でまだ庭の土が乾いていなかったので、どうしたものかと話し合った際、佐々木政義(ささきまさよし・鎌倉幕府の御家人)が「おがくず」を車いっぱいに積んで大量に持って来ていたので、庭中に撒いて、ぬかるみの心配はなくなった。
「こういう事態を予期して、おがくずを備蓄して準備しておくとは、なんともありがたいことだ」
と人たちは感心し合ったそうだ。

  この話をある者が吉田中納言(よしだのちゅうなごん・藤原定資か?)に語ったところ、
「乾いた砂を準備していなかったのか」
とおっしゃったので、その人は恥ずかしく感じた。

  素晴らしいと感心したおがくずは、確かに品もないし、庭に撒くと違和感がある。庭の管理者が乾いた砂を準備しておくのは、昔からの慣例だということである。

おがくず

 徒然草・第178段
      ◇或所の侍ども

  • 日常
    そっと教えるところが奥ゆかしいのでしょう

  あるところの侍たちが、三種の神器の一つである八咫鏡(やたのかがみ)を安置している賢所(かしこどころ)で挙行された神楽を観ながら、
「三種の神器の草薙剣(くさなぎのつるぎ)を、あの人が持っているじゃないか」
などと人に語っていた。それを耳にした近くの御簾の中にいた女房が、
「宮中の別の御殿に行幸されるときは、草薙剣ではなく、清涼殿の御座の御剣なのですよ」
とそっと言ったのは奥ゆかしかった。
  その人は古参の典侍(ないしのすけ・女官)だったとか。

八咫鏡・草薙剣
▲八咫鏡・草薙剣(画像引用:吉水神社)
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