徒然草・第218段
◇狐は人に食ひつくものなり
兼好が記すキツネの生態
キツネは人に噛みつくものである。
堀川通具(ほりかわみちとも・平安時代末期から鎌倉時代前期の公卿)大納言のお屋敷では、舎人(とねり・警備や雑用などに従事していた者)が寝ていたところ、足を噛まれた。
仁和寺(にんなじ・京都市右京区の寺院)でも夜、本殿の前を通った下級僧に対して、三匹のキツネが飛びかかってきて噛みついてきた。僧は刀を抜いて応戦し、二匹を突いた。一匹は突き殺し、二匹は逃げて行った。僧は身体をたくさん噛まれたものの、命に別状は無かった。
徒然草・第219段
◇四条黄門命ぜられて云はく
真の名人は道具を選ばない
藤原隆資(ふじわらのたかすけ・鎌倉時代末期の貴族)がおっしゃった。
「豊原竜秋(とよはらのたつあき・鎌倉時代末期の雅楽家。笙(しょう)の名手として知られた)は、雅楽のエキスパートだが、先日、彼がやって来てこんなことを言っていた。
『浅はかな考えで言うのも憚られるのですが、横笛の五の穴(ごのあな・5番目の穴)に関して密かにいささか疑問に感じていることがございます。
どういうことかと言いますと、横笛の干の穴(かんのあな・6番目の穴)は平調(ひょうじょう・十二律のひとつで西洋音楽の音名ではEにあたる)で、五の穴は下無(しもむ・同様に西洋音楽の音名ではF♯)です。
その間に、勝絶(しょうぜつ・西洋音楽の音名ではF)を隔てております。
五の穴の隣の上の穴(じょうのあな・4番目の穴)が双調(そうじょう・西洋音楽の音名ではG)、そして鳧鐘(ふしょう・西洋音楽の音名ではG♯)を隔てて、夕の穴(しゃくのあな・3番目の穴)は黄鐘(おうしき・西洋音楽の音名ではA)となります。
その次に鸞鏡(らんけい・西洋音楽の音名ではA♯)を隔てて、中の穴(ちゅうのあな・2番目の穴)が盤渉(ばんしき・西洋音楽の音名ではB)。中の穴と六の穴(ろくのあな・1番目の穴)との間には、神仙(しんせん・西洋音楽の音名ではC)があります。
このように笛はそれぞれの穴と穴の間に半音違いの音を持っていますが、五の穴だけが上の穴との間に半音違いの音がありません。そのくせ穴は他の穴と同じ間隔で並んでいるのですよ。従って五の穴から出る音は不快な音になってしまいます。
そんな理由があるので、五の穴を吹く時には、必ず口を穴から遠ざけて吹きます。そうしないと他の楽器の音と調和しないのです。五の穴を見事に吹きこなす人はなかなか居ませんね』
この豊原竜秋の意見はとても思慮深くて、興味を引かれる。その道の名人が後輩を畏れるというのは、まさにこの事だ」
とのことであった。
後日、大神景茂(おおがのかげもち・鎌倉時代末期の楽人)がこの話を受けて、次のように述べた。
「笙の笛は調律を済ませてあるものを吹くだけで音が出るのだから、ただ吹けばそれでよい。しかし横笛は、吹きながら調律を合わせて奏でるものなのだ。だから穴ごとの吹き方に口伝の教えがあるだけではなく、その人の素質を加味して、勘で吹かなければならない。おまけに勘を働かさねばならないのは五の穴に限った話ではない。ただ単に口を穴から遠ざけて吹けば良いということではないのである。
間違った吹き方をすれば、どの穴からも良くない音がするし、上手な名人はどの音でも吹いて合わせることができる。他の楽器の音と調和しない音を出すのは、あくまでも吹く人の責任であり、楽器には何の問題もないのだ」
とのことである。
次回更新へつづく