徒然草・第119段
◇鎌倉の海に鰹といふ魚は
マグロのトロも同じ道を辿りました
鎌倉の海辺でカツオと言う魚は、あの辺りでは逸品としてこの頃もて囃されている。
それでも鎌倉の長老が言うには「この魚は我々が若かった頃までは、貴人の食卓に出されることはありませんでした。頭の部分は下人ですら食べずに切り落として捨てたものです」と。
こんな物でも、末世になると上流階級にも入りこむのである。
徒然草・第120段
◇唐の物は
中国産は鎌倉時代から不要視されていた?!
中国の物は、薬以外は無くても困らない。
書物は国内に多く流布しているので、複写もできる。中国から来る船が困難な航海を経て実用に向かない品だけを満載で積んでやって来るのは非常に愚かしいことだ。
「遠くにある品は宝物にはしない」とも「入手が難しい財貨を尊ばない」とも古い文献に書いてあるのだとか。
徒然草・第121段
◇養ひ飼ふものには
兼好の動物愛護論
生きものを飼うならば馬や牛が良い。繋いでおく苦役を与えるので痛ましいが、無くてはならない生きものなので仕方ない。犬は家を守り防ぐ力が人よりも勝っているから必ず飼っておくべきである。しかし、どの家でも飼っているので殊更に探し求めて飼うまでには及ばない。
それ以外の鳥や動物は、すべて無用である。走る動物は檻に閉じ込められ、鎖も付けられる。飛ぶ鳥は翼を切られ、籠に入れられる。空の雲に恋焦がれ、野山を思う憂いの気持ちが止むことは無い。鳥や動物のそんな気持ちが身に沁みて理解できるなら、心ある人は飼って楽しんだりするだろうか。
動物を苦しめて眺めて楽しむのは、残虐な王として知られる桀(けつ・中国最古と伝承される王朝であった夏の第17代帝)や紂(ちゅう・紀元前1100年ごろの殷の第30代帝)と同じ心根である。
王徽之(おうきし・4世紀の東晋の文人)が鳥を愛したのは、林の中で鳥が楽しんで飛ぶのを見て、散歩の友としたのである。捕まえて飼って苦しめたのではないのだ。
おおよそ「珍奇な鳥や奇妙な動物は国内で飼うべきではない」と古い文献にも記述がある。