徒然草・第67段
◇賀茂の岩本橋本は
上賀茂神社の末社のおはなし
上賀茂神社(京都市北区の神社)の末社である岩本社と橋本社は在原業平(ありわらのなりひら・平安初期の貴族歌人。伊勢物語の主人公とされる)と藤原実方(ふじわらのさねかた・平安中期の貴族歌人・清少納言と交際があったとされる)を祭神としている。世間ではいつもどっちがどっちかを混同してしまっているので、参詣したときに老いた宮司が通ったところを呼びとめて、尋ねてみた。
「実方を祭った理由は、小川の水面に実方の影が映っていたからだということなので、橋本社のほうが小川のそばにあることから橋本社が実方を祭っていると思われる。
慈円(じえん・鎌倉初期の天台宗の僧。歴史書「愚管抄」を記した)が
月をめで 花を眺めしいにしへの やさしき人は ここにありはら
(月を愛でて花を眺めた古い時代の優雅な人は、ここにある在原業平だ)
と和歌を詠んだのは岩本社のことだと承ってたが、却って私よりご存じのこともあるだろう」と大変恭しく言ったのが大層立派だった。
西園寺嬉子(さいおんじきし・第90代亀山天皇の中宮)の女官でいろんな歌集に和歌が載っている人は、若いころいつも100首の和歌を詠んでは、岩本社と橋本社の前の小川の水で墨をすって清書して供えていた。
本当に名声の誉れ高い人で、人の口端にのぼる和歌が多い。漢詩やその序文などを素晴らしく書く人物なのだ。
徒然草・第68段
◇筑紫になにがしの押領使などいふやうなる
「鶴の恩返し」ならぬ「大根の恩返し」?
筑紫(福岡県あたり)になんとかの押領使(おうりょうし・現在でいうところの県警本部長)という者がいたが、大根を万病に効く薬だと言って毎朝二切れずつ焼いて長年食べ続けていた。
あるとき、屋敷に他に誰もいない隙を狙って敵が襲ってきたが、邸内に兵が2人現れて命を惜しまず戦って敵を全部追い返してしまった。押領使はたいそう不思議に思って「ふだんここで見かけない方々が、これほどまで奮戦されるとは、いったいどなたなのか」と訊いてみれば、「長年に渡り信じて、毎朝お召し上がりになっていた大根なり」と言って消えてしまった。
深く信じることで、このような功徳も得られるのだろう。
徒然草・第69段
◇書写の上人は
豆がしゃべった!
性空(しょうくう・平安時代中期の天台宗の僧)は法華経を読誦する功徳を積んで、欲や迷いを断ち切り心身が清らかになった人であった。
旅の宿に立ち寄った際に大豆の殻を燃やして、その火で大豆を煮ていたところ、豆がぐつぐつと煮える音を聞いてみれば
「縁遠くもないお前たちが、恨めしいことに私を煮て酷い目に遭わせるのか」と言っている。
燃えている大豆の殻がバラバラと鳴る音は
「私がやりたくてやっているのではない。焼かれることだって耐え難いことなのに、どうすることもできないのだ。私を恨まないでくれ」と聞こえたのだそうだ。