1分で読む現代語訳・徒然草

短文にジョークが冴える第152段
「西大寺静然上人、腰屈まり」

 徒然草・第151段
      ◇或人の云はく、年五十になるまで

  • 評論
    当時の平均寿命を考えると、現代では80歳くらいの感覚でしょうか

  ある人が言うには、50歳になるまでに上達しなかった趣味・芸事はやめてしまうべきであるとのことだ。それ以上の年齢になると、励んで練習しても将来がないからである。年甲斐もなくみっともないと思われてしまっても、老人がやることを笑い飛ばす人はいない。老人が人々の間に立ち交じるのも、くだらぬことであり見苦しい。

  大体50歳を過ぎたなら、世間との付き合いや仕事は辞めてしまって悠々と暮らすのが体裁も良いし、そうありたいものだ。世間の付き合いに関わり続けて一生を過ごす人は、最も愚か者である。

  知りたいと思うことは学んで尋ねるとしても、その概略を知ることができたならば、おおよそ判らない点が解消したと思える程度で止めてしまうのが良い。最初から何も知りたいと思わないで済むのならば、それが最善なのだ。

フルートの練習

 徒然草・第152段
      ◇西大寺静然上人、腰屈まり

  • 必読滑稽日常
    徒然草といえばこの人、日野資朝!

  西大寺(さいだいじ・奈良県奈良市の寺院)の静然上人(じょうねん・鎌倉時代後期の僧侶)が、腰は曲がり、眉は白く、非常に徳の高そうな様子で御所へ参内された。西園寺実衡(さいおんじさねひら・鎌倉時代後期の公卿)がその姿を見て、
「ああ、なんとも尊いことだ」
と崇拝するかのような感じでいたところ、日野資朝(ひのすけとも・鎌倉時代後期の公卿)はこれを見て、
「年を取っているだけでございます」
と申し上げたという。

  後日、毛が長い犬種で、とんでもないくらいに老けて痩せてて、毛が禿げた犬を人に引っ張らせて、
「この犬の姿は、尊く見えますね」
と言って西園寺実衡のもとに差し上げられたとのことだ。

老人

 徒然草・第153段
      ◇為兼大納言入道召し捕られて

  • 必読滑稽日常
    日野資朝シリーズ第2弾!

  京極為兼(きょうごくためかね・鎌倉時代後期の公卿・歌人)が召し捕らえられ、武士たちが取り囲んで彼を六波羅探題(ろくはらたんだい・平安京に置かれた警察・司法機関)へ連行したところ、日野資朝が一条大路のあたりでこれを目撃し、
「なんと羨ましい。この世に生きた思い出とは、こうありたいものだ」
と言ったそうだ。

手錠

 徒然草・第154段
      ◇この人、東寺の門に雨宿りせられたりける

  • 必読日常
    日野資朝シリーズ第3弾!

  この日野資朝が東寺(とうじ・京都市南区の寺院)の門で雨宿りをされていた時、その場に障害者たちが集まっていたのだが、彼らの手も足も捻じれ歪んで反り返っており、いたるところに障害があって異様なのを見て、
「皆、他に類を見ない変わり者だ。もっともっと観賞して愛するだけの価値がある」
と思いながら見つめていたら、だんだん醒めてきて見にくく不快になってしまった。
  希少な名品名物には到底及ばないと思い、家に帰ってのち、昨今植木が好きで異様に曲がっている木ばかり探し求めて観賞していたのは、この障害者を観賞するのと同じだと興醒めしてしまったので、鉢に植えた木をことごとく捨ててしまったそうだ。
  さもありなんである。

松の枝
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