徒然草・第164段
◇世の人相逢ふ時
潤いのない生活の推奨?!
世間で人が顔を合わせたときは、ごく短い時間であっても黙って無言でいることはない。必ず言葉を話している。その話を聞いてみれば、おおよそ無益な会話なのだ。世間のうわさ話や人の善し悪し。これらは自分はおろか話をしている相手にとっても失うことばかり多くて得るモノは少ない。
こういった無駄話は、お互いにそれが何の利益にもならないという事実に気付いていないものなのである。
徒然草・第165段
◇吾妻の人の都の人に交り
やたら広く交際を持つなということでしょうかね
関東人が上洛して京の都の人と交際したり、都の人が関東に行って立身出世したりする様子、また自身の宗派の本寺や総本山を離れてしまった顕教(けんきょう・密教以外の仏教。天台宗や浄土宗、禅宗など)や密教の僧侶たち。これらは全て自身のテリトリーを外れて外界の人と交際している。みっともない。
徒然草・第166段
◇人間の営み合へるわざを見るに
努力は無駄!という話ではありませんが
人間が営む仕事というものを見てみると、春の日射しのある日に雪で仏像を作って、雪像のために金銀や玉飾りを装飾し、お堂を建築しようとする行為に似ている。
そのお堂の落成を待った上で、果たして雪像を安置することができるだろうか。
人間の命はいくらでもまだ先があると思っていても、命の火は雪が融けて行くように下からじわじわ消えてゆく。それなのにせっせと働いて成果の到来をのんびり待っているようなことが大変多いものだ。