徒然草・第160段
◇門に額懸くるを
言葉は時代で変化していくものですから
門に額を懸けることを「打つ」と言うのは良くない言い回しなのだろうか。藤原経尹(ふじわらのつねただ・鎌倉時代中期の書家)は「額懸くる」と仰っていた。
「見物の桟敷打つ(見物席を設ける)」という言い回しも良くないのだろうか。「平張打つ(ひらばりうつ・天幕を張る)」などという言い方はごく当たり前にされているのだが。
「護摩焚く」という表現も良くない。「護摩を修する」とか「護摩する」などと言うのが良い。
「行法(ぎょうほう・密教の修行をすること)も『法』の字を濁らずに『ほう』と発音するのは良くない。濁らせて『ぼう』と発音するのだ」
と、清閑寺(せいかんじ・京都市東山区の寺院)の高僧も仰っていた。
普段から使う言葉には、このような良くない言い回しを用いることが多いものである。
徒然草・第161段
◇花の盛りは
使えそうであまり使い道のない豆知識
桜の花の盛りは、冬至から150日目だとも春分の日から7日目だとも言うけれども、立春から75日目で満開になると思ってほぼ間違いない。
徒然草・第162段
◇遍照寺の承仕法師
徒然草に出て来る坊主はちょっとおかしいのが多い
遍照寺(へんじょうじ・京都市右京区の寺院)で雑役を務めていた者が、池の鳥に餌を与えて飼い馴らしていた。あるとき、お堂の内側にまで餌を撒いてお堂の扉をひとつだけ開け放しておいたところ、池の鳥が数え切れないほど入って行った。そして自分も堂内に入って扉を閉め切って鳥を閉じ込め、捕まえては殺し続けていた。
その物音やら鳴き声があまりに酷く聞こえたため、草刈りをしていた男の子が聞きつけて人に知らせたのである。村の男たちが集まってお堂の中に入ってみたところ、たくさんの大きな雁がざわめきあっている中で、その男が雁をひっ捕らえては地面に押さえつけてから捩り殺していた。
村の男たちはこの男を捕縛して検非違使庁(けびいしちょう・警察)に突き出し、検非違使庁ではこの男の首に殺された鳥を引っ掛けて、牢に拘留したそうだ。
堀川基俊(ほりかわもととし・鎌倉時代後期の公卿)が検非違使庁の長官だった頃の話である。
徒然草・第163段
◇太衝の太の字
太宰府と大宰府、太平洋と大西洋
陰暦9月の異称である太衝(たいしょう)の「太」の字を、点を打って「太」と書くべきか、それとも点を打たずに「大」と書くべきかと、陰陽道の者たちが議論したことがあった。
盛親入道(もりちかのにゅうどう)とかいう者が、
「安倍吉平(あべのよしひら・平安時代中期の陰陽師で安倍晴明の長男とされる)が占いの結果を自ら記した紙の裏に、天皇が日記をしたためられている。これが関白の近衛氏の家にあるのだ。点を打って『太』と書かれてあった」
と言った。