徒然草・第122段
◇人の才能は
人が身につけるべき5つの教養
人が身につけるべき教養というものは、書物をよく知りつくし、聖人の教えを知ることが第一である。次に、文字を書くこと。書家になるわけではなくとも、これを習得すべきである。学問をする上で役立つからだ。
次に医学を学ぶべきである。身体を健やかにし、人を助け、忠義や孝行の務めをするにも、医学なしには成し遂げることはできまい。次に、弓道、乗馬だが、これも古代中国の士たちの必須だった六芸(りくげい)に数えられている。必ずこれをしておくべきなのだ。
文・武・医の道は、本当にどれが欠けてもいけない。これを学ぼうとする人たちを、無駄なことをする人だと言うべきではない。
次に、食は人にとって天のような存在である。上手く調味する人は大きな徳があるとせねばならない。次に工芸細工。これはさまざまに有用である。
これ以外のことで何でも上手にできることは、君子として恥ずべきことだ。詩歌を詠むのが巧みで、楽器の技術に秀でているのは高尚な幽玄の道であり、君臣ともにこれを重んずるけれど、今どきこんなことで世の政治を行うことは、だんだん愚かだとされるようになったのである。
金は優れた価値があるが、鉄の有用さに及ばないのと同じことだ。
徒然草・第123段
◇無益のことをなして時を移すを
人が必要とすべき4つの生活要素
ためにならないことをして時間を浪費する人を、愚かな人だとも、道に外れたことをする人だとも言って良い。
国のため、主君のためにやむを得ずせねばならないことは多いものだ。余った時間などわずかしかない。
考えよ。人がやむを得ずするべきことは、第一に食べもの、第二に着るもの、第三に住まいである。人にとって大事なことはこの三つ以外にはない。飢えず、寒くなく、雨風に晒されず、心静かに過ごすのを人の楽しみとするのだ。
ただし、人には病がある。病に冒されてしまうと、その憂いは耐えがたいものだ。医療を忘れてはならない。
先述の衣食住に医薬を加えて、この四つのことを求めても与えられない状況を貧困だと定義する。この四つが欠けていない状況を富裕だとする。そしてこの四つ以外のことを求めようと汗を流すことを奢りとするのである。この四つが慎ましく守られているなら、いったい誰が生きるのに不自由を感じることがあろうか。