徒然草・第140段
◇身死して財残る事は
持たざる生活はなかなか難しいものです
死んだあとに財産を残すことは、賢い人はしないものだ。つまらない物を蓄えておくのはくだらないことであり、それが価値ある物であれば、それに執着したのだろうと思われてやはりくだらない。財産の多い人は、まして情けない。
「私が貰い受けよう」などと言う人もあり、没後に財産をめぐって争うのもみっともない。死後に誰かに譲りたい物があるならば、生前に譲渡しておくべきである。
普段なくてはならない物は持つべきだが、それ以外は何も持たずにいたいものだ。
徒然草・第141段
◇悲田院尭蓮上人は
関東人vs関西人はこのころからあったようで
悲田院(ひでんいん・孤児や病人のための施設)の尭蓮上人(ぎょうれんしょうにん・伝記不詳)は、出家する前は三浦(みうら・神奈川県三浦市)のなんとかと言って、並ぶ者のない武者であった。
故郷の人が尭蓮上人のもとを訪ねて来て語らった際に、
「関東の人が言ったことは信用できるが、京の都の人は請け負う返事だけは良くて、真心がない」
と言ったのを、上人は、
「それはそうなのかもしれないが、私は都に長らく住んで慣れ親しんできたけれど、都の人の心が劣っているとは思わない。総じて柔和で情け深いがために、人が言って頼むようなことをきっぱり断り切れず、何でも言いきることもできず、気弱にも請け負ってしまうのだ。
約束を違えようとは思わないのだが、貧しくて思うにまかせることができないため、自ずから実行できないことが多いのである。
関東人は、私もその出身だが、本当に心に優しさがなく、情も薄く、単に強く剛健であるので、頼まれごとも初めから『嫌だ』と言ってしまう。富を抱え裕福なので、人に頼まれることが多いだけなのだ」
と説かれたので、この上人は言葉が訛っていて荒っぽく、経典の細かい教えも大して知りはしないのだろうと思っていたのに、この一言ののちは大人しくなった。
多くの僧侶がいる中で、寺の住職でいらっしゃるのは、このように柔和なところがあるので、そのことによるご利益ということもあるのだろうと思われた。