1分で読む現代語訳・徒然草

気にしたら負け。第206段
「徳大寺故大臣殿、検非違使の別当の時」

 徒然草・第205段
      ◇比叡山に大師勧請の起請といふ事は

  • 故事
    契約書なんて要らない!?

  比叡山延暦寺で、最澄(さいちょう・平安時代の僧。天台宗の開祖)の霊を呼び寄せて起請文(きしょうもん・契約を交わす際に、それを破らないことを神仏に誓う文書)を書くことは、慈恵大師(じえだいし・平安時代の天台宗の僧。良源、元三大師)が最初に始めたならわしである。
  起請文は、法律を専門に扱う人たちには無縁のものだ。

  いにしえの時代には起請文を使った政治なんて存在しなかったのに、近頃では何でもかんでも契約だの誓約だの、はびこっている。

  また法律において、水や火は穢れの対象にはなっていない。ただし故人宅からの書状などが入っていた容器には、穢れがあるだろうとしている。

慈恵大師
▲慈恵大師

 徒然草・第206段
      ◇徳大寺故大臣殿、検非違使の別当の時

  • 必読滑稽故事
    変に気にするからおかしなことになる、という話

  亡き太政大臣・藤原公孝(ふじわらのきんたか・第23段にも登場)が検非違使庁(けびいしちょう・治安維持や司法警察を執り行う官庁)の長官の時のこと。庁舎の中門で評議があった。
  その最中に、下級役人の中原章兼(なかはらののりかね・鎌倉時代後期の法律家)の牛が牛車から離れ、屋敷の中に入った上に、評議の座長の席に陣取って、反芻しながら寝そべってしまった。

  これはとんでもない奇怪な現象だとして、牛を陰陽師に診てもらうべきだと皆が言いだしたが、長官の父である徳大寺実基(とくだいじさねもと)がそれをお聞きになって、
「牛に分別があるはずなかろう。足があれば、そりゃどこだって登るものだ。貧しい下級役人がたまたま出仕する時に使った貧弱な牛を、彼から取りあげてしまうには及ばない」
とおっしゃったので、牛は飼い主に返して、牛が寝そべった畳をお取り換えになられた。
  その後、不吉なことは一切起きなかったそうだ。

怪しいものを見ても怪しまなければ、怪しいことは発生しない」ということだ。

ダラける牛

次回更新へつづく

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