1分で読む現代語訳・徒然草

10月をなぜ神無月と呼ぶのか
第202段「十月を神無月と言ひて」

 徒然草・第202段
      ◇十月を神無月と言ひて

  • 評論
    現在では神々が出雲大社に集うから、といいますが

  10月のことを神無月と呼び、神事を執り行わないことに関するいわれについて、その理由を記した書物は存在しない。古典にも載っていない。ただ、10月は確かにどの神社でも神事を実施しないので、神無月と呼ばれるようになったのだろうか。
  10月はすべての神様が伊勢神宮に集うという説があるけれど、確かな根拠はない。この理屈ならば伊勢神宮ではなおさら10月に神事の祭をするべきなのに、それもしない。
  10月はさまざまな神社に天皇が行幸した例も多いが、その多くは不吉な事情からのものである。

伊勢神宮

 徒然草・第203段
      ◇勅勘の所に靫懸くる作法

  • 故事
    ここに犯罪者がいますよー!という目印…?

  天皇の命令によって勘当処分となった者の家に靫(ゆぎ・矢を携帯するための筒状の容器)を懸けておく風習は、今では絶えてしまってそれを知る人もいない。
  天皇の病気やもしくは世の中が混乱したときには、五条の天神(五條天神社・京都市下京区)に靫が掲げられる。鞍馬(くらま・京都市左京区)の靫明神(ゆきみょうじん・由岐神社)という神社も、靫を懸けられた神社である。

  看督長(かどのおさ・検非違使庁の下級職員)が背負っている靫を、勘当処分となった者の家に懸けると、人の出入りが禁止となる。
  この風習がなくなってしまってのち、今ではその家の門を封印して目印とするようになっている。

五条の天神
▲五条の天神(画像引用:Wikipedia/Hirojin taja)

 徒然草・第204段
      ◇犯人を笞にて打つ時は

  • 拷問豆知識

  罪人をムチで打つ時には、拷問の機器に身体を縛り付けてから打つものである。しかし拷問の機器の形も縛り付ける方法も、今となっては知る人がいない。

非難の目
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