徒然草・第215段
◇平宣時朝臣、老の後
質素倹約を善しとした権力者の逸話
北条宣時(ほうじょうのぶとき・鎌倉時代中期の武将)が老いてから、昔話を語ったことがあった。
「北条時頼(ほうじょうときより・鎌倉幕府第5代執権)にある晩、呼び出されたことがあったのだが、『すぐに伺います』とは言ったものの、着て行く直垂(ひたたれ・武士の平服)がない。
ああだこうだしているうちに、また使者がやって来て、『直垂とかが揃わないのでしょうか。夜ですし、おかしな服装でも良いから急いでください』とか急き立てるので、シワだらけの直垂を着た普段着の姿で参上した。
時頼様はお銚子とお猪口を持って出迎えてくれ、『この酒をひとりきりでいただくのは物足りない。だからお前を呼び出したのです。しかし酒のアテがなくってね。家人は寝静まっているので、何でもいいから、それらしいものをどこからでも探して取って来てもらえないかい』とおっしゃった。
紙燭(しそく・手持ちできる照明)を灯して邸内の隅々まで探したところ、台所の棚の上に味噌が少し入った器を見つけた。
『こんなのがありました』と申し上げたところ、『上出来だ』と満足気に何杯かお酒を召しあがって、上機嫌になられてね。
あのころは、そういうおおらかな時代だったんだよ」
と言われた。
徒然草・第216段
◇最明寺入道、鶴岡の社参の次に
用意周到すぎるおもてなし
北条時頼が鶴岡八幡宮(つるおかはちまんぐう・神奈川県鎌倉市の神社)に詣でた帰り、御家人の足利義氏(あしかがよしうじ・鎌倉時代前期の武将)の屋敷に使いを遣って、その後お立ち寄りになった。
義氏によるおもてなしの献立は、まずは干したアワビ、続いてエビ、最後にぼたもちで終了。そこには義氏夫妻に加えて、隆弁(りゅうべん・鎌倉時代中期の天台宗の僧侶)ももてなす側として臨席していた。
時頼が、
「毎年、足利(あしかが・栃木県足利市)の染物をいただいていますが、今年もその時季が早く来ないかと待ち遠しい」
と言うと、義氏は、
「ご準備できております」
と言って、色々な染物を三十反、時頼の眼前で女房たちに小袖(こそで・普段使いの上着)に仕立てさせ、のちほど送付したそうだ。
これらの様子を実際に見た人が、最近まで生きていて、その人から聞いた話である。