徒然草・第59段
◇大事を思ひ立たん人は
とにかく今すぐ出家しろと言いたいような
出家を思い立った人は、取り去りがたく心残りなことを成し遂げずにそっくり捨ててしまうべきだ。
「もうしばらくあとで、これをやってしまってから」
「同じ事なら、あれをしてからでも」
「これこれの事は他人が嘲るといけない、ゆくゆく非難されぬように始末してから」
「数年もかかる案件ならともかく、そのことを済ませるのにそれほど時間はかからない。急がなくてもいい」などと思うようでは、ないがしろにできない用事がどんどん重なってなくなることもなく、出家を思い立つ日は来るはずがない。
おおよそ世間の人々を見渡せば少々出家を考えている程度の人なんていうものは、こんな考えだけで一生を終えてしまうのだ。
すぐそばで発生した火事から逃げる人が「ちょっと待ってみよう」なんて言うだろうか。助かろうと思うなら恥を顧みることなく家財を捨てて逃げるものだ。命の期限は人を待ってくれるわけではない。
死は水や火が迫って来るよりも速くて逃げることもできないのに、その際に老いた親や幼い子、主君から受けた恩、人の情けを捨てられないといって捨てないことがあろうものだろうか。
徒然草・第60段
◇真乗院に盛親僧都とて
仁和寺の法師第4弾!!!!
仁和寺の塔頭の真乗院(しんじょういん)に盛親僧都(じょうしんそうづ)という優れた学僧がいた。芋頭(いもがしら・サトイモの親芋)が好物でたくさん食べた。仏教の講義をするときも、大きな鉢にうず高く盛って、膝のそばに置いて食べながら書物を読んでいたほどだ。
病気になれば7日とか14日の間、療養だと閉じこもって、旨そうな芋頭を選んでは普段以上にたくさん食べてどんな病気でも治してしまう。人に食べさせることはない。全部自分一人で食べてしまった。
非常に貧しかったころ、師匠が死ぬ間際に200貫の金銭(現在の貨幣価値でおおよそ900~1,200万円)と僧坊をひとつ遺したが、僧坊は100貫(おおよそ450~600万円)で売却し、合わせて3万疋(1貫=100疋)もの金銭を芋頭の代金に使うのだと決めた。
その金を京都の人に預けておいて10貫ずつ取り寄せては芋頭を召し上がって、金は他の用途に使うこともなく無くなってしまった。「貧しい身で300貫もの収入を得ながら、このように使い切ってしまうとは全く珍しい道心の人だ」と人は言ったそうだ。
この僧は、ある僧侶を見て「しろうるり」というあだ名をつけた。「しろうるりとは何だ」と人が訊いたところ、
「そんなものは知らない。もし実在するなら、この僧侶の顔に似てるだろう」と言ったのだとか。
この僧は見た目も良く、力も強く、大食いで、字も上手く、学識に優れ、弁舌も立ち、宗派の中で重鎮であるので寺でも重々しく扱われていたが、世間を軽く見る曲者だった。自由気ままで、全く人に従うことがない。
法要などでお膳が出た時も、皆の前にお膳が揃うのを待たずに食べてしまい、帰りたい時に勝手に帰ってしまう。朝食も夕食も人と同じように時間を決めて食べない。食べたい時に夜中でも夜明けでも構わず食べ、眠たくなれば昼間でも部屋に閉じこもり、どんな重大な事件が起きようが人の言うことを聞かず、目を覚ませば何日も寝ずに心を澄まして詩歌を吟じて歩きまわるなどなど、普通ではない人だったが、人に嫌われずすべて許容された。徳が高いゆえなのだろうか。