徒然草・第147段
◇灸治あまた所になりぬれば
- 何故そんな迷信ができたのでしょう…?
お灸の治療で、お灸を据える場所を増やすと祭祀に穢れの障りがあるというのは、近年になって人々が言い出したことである。法令などにはそんな記述はない。
徒然草・第148段
◇四十以後の人
- 奥の細道の松尾芭蕉も旅の始めにこのツボに灸を据えました
40歳を過ぎた人がお灸を続けて据える場合、足三里(あしさんり・膝の皿の下のくぼみから指の幅4本分の位置にあるツボ)に据えなければのぼせてしまうことがある。必ず足三里に据えるべきである。
徒然草・第149段
◇鹿茸を鼻に当てて嗅ぐべからず
- 鹿の新しく生えた角は強壮剤に使うのだとか
鹿の角を鼻に当てて匂いを嗅いではいけない。角の中に小さな虫がいて、鼻から入って脳を食うと言うからだ。
徒然草・第150段
◇能をつかんとする人
ワザを磨くには名人の下で切磋琢磨せよとの話
芸事を身につけようとする人は、
「上手くできないうちは、中途半端に人に知られてはならない。隠れてよくよく練習して上達してから人前で披露するのが最善であろう」と常に言うようだが、こんなことを言う人はひとつの芸事をも身につけることができない。
逆に全く下手くそなうちからその道の達人たちの間に立ち混じって、貶され笑われることを恥じずに平然と練習に打ち込める人が、生まれもっての素質を持たなくとも滞りなく精進して身勝手もせずに過ごすので、器用だが精進しない人よりも結局は名人の域に至るのだ。人格も備わり世間からも認められて、ついには並ぶ者がない名人の称号を得ることになる。
世界有数の名人とは言っても芸事の始めの頃には下手だと言われ、酷い言葉を浴びせられたものであろう。けれども、その人が芸事の道の決まりをきっちり守り尊重し、勝手な振る舞いをしなければ、世界の名人として多くの人の師匠になるのである。これはどの芸事の道であっても同じなのだ。